プラトンの『饗宴』に見る不死の意志

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プラトンの『饗宴』に見る不死の意志

プラトンの『饗宴』で示されるテーマ。
アリストファネス、パイドンらソフィストVS哲学の父ソクラテス。
完全性を追求するエネルギーを「エロス=愛」という概念で説明する。

人間は必ず死ぬ、つまり有限である。
だからこそ、自らが生きた証を遺したい。
この衝動があらゆる活動エネルギーの根本にある、ということを示す。

人間の活動は、不可能性(不死)への挑戦である。
だからこそ、(絶対に到達不能な)「善のイデア」に向かって(到達不能と知りながら)それを追求する人間の性質を見切ったプラトンはパないと思う。

たとえば子孫を残すこと、書物を遺すことは概念的な「不死」であり、ムーアの法則にあるようにデータ保存が事実上無限になる(?)今世紀は概念的「不死」がますます開かれたものになる。

最近話題になる「不老不死」は、既に人類史を通じて我々は暗に体現している。
先人の屍の上に我々は生かされ、次につなぐ。
有限時間で何が出来るか試された、媒介者である。

この世にはあらゆる慣習や文化、道徳、教義が存在する。
それはあくまでも、或る共同体の内部においてである。
国家という共同体、地域という共同体、家族という共同体。
どの共同体に属しているのか、これが大事。

全てを包括した「共同体」は原理上存在し得ない。
なぜか。人間は、「異」なる認識を持つことの出来る認識の可能体だからである。
ある共同体で正義の物事が、別の共同体では悪になる。
〜派、〜主義、〜教。
物理的な範囲に限定されることなく、あらゆる共通価値観の共同体が存在しうる。

あらゆる物事は「正義」にも「悪」にもなりうる。
だからこそ、どんな時にも違う認識の人がいることを受け入れる「他者性の認識」が、全ての前提条件となる。
その上で、力学の行使、競争や衝突が行われ、存在を世界に刻みあう。

己の存在事由を発揮すること。
活動すること。
これが社会に自らを遺さんとする「不死」の意志。

2017-08-22T18:09:32+00:008月 20th, 2017|哲学, 雑感|