If I have seen further it is by standing on yᵉ sholders of Giants.
私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです。
(1676, アイザック・ニュートン, ロバート・フック宛て書簡)
我々は、先人達の努力の蓄積の上に生かされ、恩恵を受け、存在している。
それでは、我々が未来へ向けて送ることの出来るものは何か。
後世に向け、我々が今できることは何なのか。
己の寿命を超えた長期的な時間軸の中で、未来への目的設定を行うこと。
これが、活力ある濃密な人生を送る大きな動機につながる。
短期的利潤の謳歌や栄華は、諸行無常の刹那的狂喜、一時のうたかたに過ぎない。
近視眼的な自己利益を放棄し、子々孫々に至る不確実なる未来へ向けた行動は、真に活力的であり、持続的であり、普遍的であり、道徳的である。
そして、これを支えるのは、家族、会社、地域社会、国といった共同体意識、帰属意識、愛着心に基づく「過去-現在-未来」の時間軸である。
いま、地球倫理や環境問題が叫ばれており、一定の理解が得られているのも、人類(同胞)の存続という数百数千年単位の時間軸がその前提にあるからである。
文明史や人類学における「贈与・互酬関係」然り、人間社会には、世代を超えた共同体を俯瞰する長期的時間軸が存在している。
一言でいえば、「存続・継承」という概念である。
そしてこれは、最も身近な「生命とは何か」という哲学的問いそのものであり、「動的平衡」などの生命論にそれが顕現する。
生物の内部に増大するエントロピーを外部へ排出する働きは、生命という秩序を守ることである。
生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。(『生物と無生物のあいだ』福岡伸一 著, p.164)
ここには、「変化そのものが秩序である」といった現実的側面が発見できるし、秩序を守るためには「先回りした破壊(創造)が逆説的に必要である」という側面が発見できる。
たとえば、文化財建造物の補修や改修といった「破壊」は、結果的に秩序(形)の存続の息吹を吹き込む。
人は、大小あらゆる共同体に帰属している。
現代は「”国”のために」という思想は希薄化した。
しかし、共同体のレイヤーが変わっただけであって、共同体の存続や継承といった長期的な時間軸は今なお普遍性を持っている。
己が帰属する何かしらの共同体において、いま自分にできることはなにか。
フリーライドし引き籠もり、サイバー空間で批評と嘲弄を繰り返し、ドラッグの如き享楽に耽る末人(まつじん)的生き方は、やはり目指すものではない。
時代のうねりを直視・呼応し、現代技術を積極活用し、全力で創意工夫し行動し、不断の創造営為に努力することこそが、現代を生きる我々の使命ではないか。
「過去-現在-未来の時間軸」が、人間を突き動かす。