日本思想を醸す──酒造りからの応答

哲学

問い直すべきは「日本とは何か」「酒とは何か」

酒造りの現場に身を置きながら、私が向き合い続けている根源的な問いがある。
それは、「日本とは何か」「酒とは何か」という二つの思索である。

この問いは、私個人の思索にとどまらない。
敗戦という断絶のなかから戦後の知識人たちが繰り返し掘り下げた問いでもあった。
丸山眞男は政治の空白に立ち向かい、吉本隆明は大衆と共同幻想を接続し、柄谷行人は近代を超克するために世界システムへと視座を広げた。

私にとって彼らの思考は、あくまで「刺激」や「示唆」に過ぎない。
重要なのは、それらを契機として、いかに自らの実践を編み直すかである。
酒造りという営みのなかで、私は「哲学する蔵元」として、日本的精神と現代的課題に同時に応答する試みを続けたい。

日本の酒とは何か——文化の圧縮形式としての酒

酒は単なる「嗜好品」ではない。
それは、歴史と風土、共同体の記憶、そして時間そのものを媒介する、文化の圧縮形式である。

この感覚は、数値化・工業化・標準化の流れとは相容れない。
だからこそ、いま日本の酒類(特に國酒としての日本酒)が直面する課題——人口減少、農業衰退、国際競争、気候変動——に対して、私は「日本思想」に立脚した創造的対抗を志す。

〈時間〉と〈無常〉の精神からの再構築

日本思想の核には、「時間」に対する独特の感受性がある。
『方丈記』における無常観、『風姿花伝』の「時分の花」、あるいは西田幾多郎の「純粋経験」もまた、「瞬間に永遠を宿す」ような思索の系譜である。

私にとって、酒造りとはそのような時間意識を「形にする」行為にほかならない。

発酵という生命の運動、季節とともに仕込まれるリズム、数ヶ月〜数年にわたる熟成の厚み。
それらは「生成と変化」のなかに美を見出す、日本的時間論の実践である。

私はここに、「時をつくる酒」という思想を重ねている。
瞬間の美を追求する生酒シリーズは、「いま、ここ」に咲く花のような儚さをまとう。
一方、火入れや熟成を経た酒は、時間を抱え込み、蔵の記憶を保存し、「文化の容器」として歴史を内包する。
これらの構成は、無常と常住という日本思想の両義性を体現している。

〈自己と世界〉をつなぐ酒類哲学

戦後の知識人たちが強く意識したのは、〈個人と社会〉、〈日本と世界〉という境界の揺らぎだった。たとえば、吉本隆明の「内的転向」、あるいは柄谷行人の「交換様式論」では、いずれも自己を超えて共同体や世界と接続するモデルが模索された。

酒もまた、そのような媒介性を備えている。
宴という共時性のなかで他者と心を通わせる「媒介装置」として、また、
一人静かに杯を傾ける「内省装置」として。

その作用は、まさに「内と外」「行為と直観」「個と共同体」の境界を往還するものだ。
メタ的に言えば、「外」なる他者との邂逅において、行為的直観により相即的に世界と自己を認識することが可能となる。cf.「醸-環世界」SAKE RE100プロジェクトでのコア思想

だからこそ私は、酒という媒介に「哲学的装置」としての可能性を見る。

哲学する酒造りの系統化へ

2025年度より、西堀酒造として本格的なリブランディングと構造整理を行う予定だ。
それは単なるブランド刷新ではない。思想を宿した商品設計への移行である。

具体的には、「哲」シリーズや「ノヴァ」「パンセ」などがそれにあたる。
ノヴァは感性と技術(論理)の交差点、
パンセは過去の記憶と未来の視点の融合、
アルケミアは伝統(内)と越境(外)の錬金術的交錯をテーマに据える。

これらはすべて、「酒を通して世界と自己を再構成する」試みである。

酒造界の〈持続可能な創造〉へ

20世紀的な大量生産・大量消費型のモデルは、酒造業界においても限界を迎えている。
課税移出数量の大幅な減少、後継者難、資源の枯渇——これらは単なる経営課題ではない。
文化の継承を前提とした「創造的応答」が求められている。

上述のSAKE RE100プロジェクトにおける再生可能エネルギーによる酒造りは、その一例にすぎない。
副産物の再活用、伝統農法との連携、地域循環経済との接続、エネルギー自治の試行。
これらすべては、技術革新と思想的基盤の両立に向けた一歩である。

とはいえ、全ての営為について言えるが、
例えば50億年後に地球は膨張した太陽に飲み込まれる——と想像すれば、すべてが一時的な仮象にすぎない。(そこでは、個別具体に是非を論じる己自身のメタ認知である)
だからこそ根本的には、「いかに生きるか」という問い、つまり哲学へと帰着する

ここで鍵となるのが、「永遠の仮説生成」という私自身の哲学的態度である。
完成を拒み、常に変化を受け入れ、問い続ける酒造り。
それは日本思想の無常観と現代思想の動的パラダイムが交錯する場としての創造的営為である。

思想する蔵としての未来

酒蔵は、もはや単なる発酵や製造の場ではない。
それは思考の場であり、思想の発信地である。

私は、哲学と日本の精神、技術と現実的な経営を横断する立場として、次のようなヴィジョンを描く。

「酒を通じて、日本を問い直し、世界へ思想を届ける」

それは、日本思想の深層に根を張りつつも、閉じた郷愁ではなく、開かれた未来へと向かう酒造りである。
今こそ、思索と創造のあいだに橋をかけ、「唯一無二の日本産酒類」を未来へと届けるときである。

2025年春
西堀哲也