哲学から行動へ

哲学

哲学から行動へ

全ての事象は、あらゆる物理的な運動で成り立っている。

直面するあらゆる現象、それは物理的運動の結果といえる。

殊に、人間が意図して世界に介入する運動を「行動」と呼ぶとする。

客観性はどうあれ、最終目標は個々にとって「より善く生きる」べく日々行動している。

人間の全ての活動は、この「行動」に収束するのではないか。

行動は「動(生)」であり、不動は「静(死)」である。

だからこそ、今を生きる人間にとって行動は不可欠であり、人は行動・アクションに「生」を投影する。

何かしらの物事に向かって、行動を起こしている人には生気を感じ、見入ってしまうのはこのためか。

人間の持つ感性と理性

人間は、感性と理性の2つのマインド側面を持つ。

感性面から行動を喚起するもの、それは「情熱」。

生理的な感情、モチベーションは行動力の源泉になる。

たとえば戦争など、生命を脅かす極限状況下では、人間勝手に行動する。

理性面から行動を喚起するもの、それは「確信」。

論理的な納得、自分に対する信頼(自信)、信仰などが行動力の源泉となる。

たとえば、全力で何かを信じることができれば、自死をも厭わず行動する。

テロリズムの論理や新興宗教起因の事件等がこれにあたる。

全ての事象は、「行動」に収束する。

あらゆる自己啓発本の行き着く先が「行動」であり、

大なり小なり誰しも悩むのが「行動」である。

「行動≒善」というイメージは多くの人に共通する認識だと思う。

行動力をつける、そのために様々な試みが用意されており、そこに一定の経済圏も存在する。

こんな悩みがなければ、世の中からダイエットや健康食品ビジネスはとっくに無くなっているはず。

行動力をつける方法は、「情熱」を持つか「確信」を持つかの2択だといえる。

前者の「情熱」を駆り立てるアプローチ、これはなかなか難しい。

外的環境による刺激で負荷をかけて感情を喚起し、自分を追い込む必要がある。

たとえば、「情熱を持て」と言われただけでは、正直何も心は動かないはず。

そこで、理性的側面で自己を刺激するアプローチが結構有効ではないかと思っている。

具体的には、徹底的な自己対話とそれによる納得(確信)である。

「こういう行動は自分にとって必然だ」というように、ある意味決定論の文脈に自分自身を置く。

人生というストーリーをデザイン(決定)し、主人公(自分)の行動を規定する。

ストーリーデザインを考えるとき、自らの頭で思考し導き出した結論であるか、それとも単に受け売りでコピった結論であるか、その濃度には歴然たる差がある。

それは、経験の強さと同様。

若年者が人生論を語る際は原理上不利であるし、同じ言葉であっても、語る人間や時期によって印象が変わるのは一般的だと思う。

自らの頭でどれだけ考え、悩んだか。

脳内を何周回って、その結論に達したか。

つまり、どれだけ納得・確信を高めているか。

この期間がエネルギーを蓄積させている。

哲学という最強エンジン

自らの考えを持つことを、俗に「哲学」という。(学術世界では別)

哲学という言葉が「生き方」や「生き様」と並列に語られるように、

哲学という言葉の裏には、普通「行動」を連想する。

情報の横溢する現代社会においては、個人の思考機会・時間がほとんど無い。

平和社会ゆえ、背水の陣を敷いたり、生存本能を喚起されることも少ない。

結果、社会の常識、浅薄な論理、権威への迎合、有名本の受け売りなどが拠り所となる。

そこに高エネルギーの「確信」はない。

だからこそ、自らの頭で思考し確信を得ること、

つまり「哲学すること」こそが行動力を増大させる最強エンジンとなるはず。

というわけで哲学書はオススメ。END。