伝統を守るとは?

思索

伝統を守るとは?

「伝統の味はどんなものですか?」

たまに聞かれるこの質問。
これは、あらゆる老舗企業に通ずる話である。
たとえば食品や飲料を扱うならば「伝統の味を守っています」というフレーズはよく目にする。

そもそも、味を守るとは何か。

それは、伝統の継承と本質は同じであると思う。

参考:継承と日本文化の関係性

革新の連続が伝統を紡ぐ

継承するのは、目に見える単なる現物だけではない。
それは、いわゆる”博物館的な”文化保護に過ぎず、過去のベクトルのみである。

継承には、過去-現在-未来の時間プロセスが内包される。
現在から未来に至る、創造・革新の働きなくして真の伝統継承は不可能である。

たとえば、ある酒蔵に「辛口の酒造り」という伝統があるとする。
このとき、「辛い」という感覚は、時代地域によって当然変わる。
100年前の「辛口」と現代の「辛口」が同スペックであることはまずありえない。
つまり、客観的な科学数値分析で同値であることを意味しない。

人類史は常に流転し、人間の価値観も嗜好も当然変わる。

護る対象とは、そのポリシー(姿勢)であり、スピリット(精神)であり、フォルム(型)である。
企業体で言えば、創業の精神、理念である。

「動的平衡」と伝統の継承

生命体は、目に見えるマクロレベルでは止まっている(同一である)ように見える。
しかし、ミクロの分子レベルでは常に流動している、いわゆる「動的平衡」状態。
同じだと思っている人間の身体ですら、数ヶ月で細胞が入れ替わる。

究極的に言えば、物理次元で如何なるものも同一ではない。
物理的な個体を想起するのは、絶対時間に依拠した近代科学の信仰の結果であり、
抽象的観念に対する極度のアレルギー体質を備えたのが現代人である。

ニュートンはある瞬間を切り取り、その瞬間(特定条件)にのみ適用可能な理論を導いたのであって、未だ神の公式は不在である。

あらゆる学問における「理論」とは、個別の特殊条件における想定可能性の担保でしか無い。
不変・安定・想定可能な世界は数直線的に想起可能なパズルの世界である。

残念ながら世の事象は、パズルゲームで完結するようなルールが決まった「特定空間」ではない。
もし「特定空間」がこの世と一致すれば、既にコンピュータで全ての物事が解決しているはずである。

改めて、継承する対象とは何か。

それは、物理次元を超えたところにある、ポリシー(姿勢)であり、スピリット(精神)であり、フォルム(型)である。