イノベーションはどこから生まれるか

思索

イノベーションはどこから生まれるか

夏の時期になると、酒造業界では蔵のメンテナンスが行われる。

酒造期は寒造りが一般的で、10月から4月頃までの約半年間が日本酒造りの時期である。
温度が冷えない夏の暑い時期は専ら蔵の設備をメンテナンスしたり、新たな設備導入、掃除などが行われる。

酒蔵の製造現場を見ても、「所与条件をいかに活かすか」という観点は非常に重要だと思う。

制約条件下での創意工夫

どんな蔵も一つとして同じ設備・機械のものはない。

もちろん、研究者・科学者的観点から言えば、設備が完全に整備されているのが理想ではある。
新築の大規模食品工場をイメージすればよい。

そして、当然ながらヒト・モノ・カネ全てが潤沢に揃う企業など今の御時世皆無に等しい。
だからこそ、どんな蔵も創意工夫を施している。

蔵人は、醸造だけできればよいのではない。

機械が故障することなどしょっちゅうある。
道具が不足したり、直ぐに対処しなければどうにもならないことも多々ある。

大工にも、電気工にも、配送員にも、販売員にもなる。
何でもやる。
逆に、一つのことしかしない、欧米的な完全分業、縦割り行政のメンタリティではまず務まらない。

全国各地の蔵を回る杜氏も、その蔵毎の設備を活かしながら、どうにかこうにか工夫して酒造りをする。「〜を買ってくれ」と蔵元に言うことなどは簡単だが、現実そんなわけにはいかない。
というより、そんな精神状態ではキリが無い世界である。
そして、お手製のなるほど便利なカスタマイズ道具などの発明が生まれるのである。

専門家に委ねるという甘えが創発の芽を摘む

酒造業に限った話ではないが、「専門業者を頼む」というのは、最終手段であって、自分たちで何とか対処できないか、創意工夫する文化が職人の世界にはあると思う。
これは、ITエンジニアの世界でも全く同様である。
この、不足する所与条件の中、何とかできないか頭を捻る経験が学びとなり気付きとなり成長となる。

たとえば、他の蔵に見学に行くと、その創意工夫の様子が方方に見受けられる。
「必要は発明の母」と化した現象も生まれているのは確かである。

限られたリソースの中でどう創意工夫するか。

この創造性、工夫の文化こそが、イノベーション、コア・コンピタンス、独自性、の土台になるのではないか。

すぐ「お金を払って専門業者に頼んで解決してもらう」というのは、外注費の経済的損失に留まらず、発明の契機、独自性の契機を自ら捨てていることにほかならない。

「代替可能であること」は、R>Gの現代資本主義社会において最も危険視すべきことだと感じる。