飲む身体、語る環世界──ナラティブとアイデンティティの発酵

思索

醸—環世界03 【SAKE RE100】

人は「飲む」とき、何を飲んでいるのか。
それは単なる液体ではない。
その背後に広がる風土、時間、物語、そして無数の行為の蓄積を、身体という不可逆的な経路を通して取り込んでいるのだ。

ゆえに「飲む」という行為は、物理的摂取の動作にとどまらない。
それは、感覚を通じて世界を読み取り、自らの存在を物語る身体的な語りでもある。

哲学者チャールズ・テイラーやポール・リクールは、アイデンティティを「ナラティブの自己」として捉えた。
人は断片的な経験や記憶を物語として編み上げることで、自分が「誰であるか」を理解する。
その物語は、言葉だけでなく、味覚や嗅覚、触覚といった感覚の層によっても紡がれている。

私たちは、「語る存在」であると同時に、「味わうことで世界を編み直す存在」である。
語りの起源には常に身体があり、味覚があり、他者と共有される時間があるからだ。

SAKE RE100が目指すのは、単なる再生可能エネルギーによる酒造りではない。
それは、飲むという身体的行為を通じて、自らの環世界――自分にとっての意味の地図――を更新する体験である。

一杯の酒には、語られるべきナラティブが封じ込められている。
それに触れるとき、人のアイデンティティは静かに、しかし確実に発酵を始める。
変容した価値観は、新たな自己を醸し、その自己は再び別の物語を語り出す

他者の物語を想像する。
自然や微生物の時間感覚を受け取る。
地域や伝統に眠る記憶を味わう。

酒とは、そうしたナラティブの媒体として機能する哲学的飲料である。
そしてSAKE RE100は、その試みを静かに、しかし確かに、世界に開いていく。