21世紀、参考にすべきは「ルネサンス的人間観」

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21世紀、参考にすべきは「ルネサンス的人間観」

Leonardo da Vinci、つまりダ・ヴィンチは誰しもが知る天才である。

彼自身が音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など様々な分野に長けていたことを踏まえ、「万能人 (uomo universale) 」と称されている。
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万能人でよくあげられるのは、ダ・ヴィンチの他にアリストテレス、ジャン・ジャック・ルソー等、世界史でよく見る名前の偉人たちである。

現代では普通に「ありえない」とも思ってしまう訳だが、裏を返せば人間一個体には元来それだけのポテンシャルが内在していてもおかしくないということである。

そもそも、「人生1分野1職業」みたいな分業型社会の価値観になったのは、近代以降の資本主義社会においてである。

ルネサンス期の人間観とは、あらゆる分野に普遍的に関心を持ち、能力を発揮することが理想という価値観があったと言われている。
世界史の窓「万能人」とは

21世紀に入りテクノロジーが発達し、20世紀型の資本主義社会に限界が見出されつつある。
大量生産の物質供給経済に裏打ちされた均質的価値観・技能の教育への反省がなされ、ようやく「パラレルキャリア」などの価値観が興隆してきた。

タコツボ的専門知の記憶価値は、Google検索の登場により価値低下するのは間違いない。
子供から大人まで、スマホという名の百科事典は平等に与えられている。
(ググれば分かる)知識を活用し、何を発想し工夫し創造していくかが重要になる。

アイデアは、あらゆる分野へアンテナを立てていないと生まれない。
だからこそ現代、ルネサンス期の先達と同様、「万能人」という理想を追い求めるのもアリなのではないかと思う。
誰かしらできている物事で「できない」はあり得ず、人間やれば何でも出来る、とかくDIY(Do It Yourself)である。

cf.顔淵(孔子の弟子)
『舜何人ぞや、予何人ぞや』
意味:舜(古代中国の名君・聖人)も自分も同じ人間ではないか

本来、誰しもがいろいろな肩書きを持っている。
だれしも興味を持っている分野や物事はあるわけで、それを世の中に発揮・創造できれば最高ではないか。
興味の掛け算で新たな創造物が生まれる。

タコツボ的専門性、1分野主義という呪縛が、本来の人間のポテンシャルを抑制してしまっていると思う。

外的環境で自身を抑制してしまうのは面白くない。何でもできれば、面白い。

自身が何かにハマってる感や、エンタメ感情が生き甲斐の中心になるのは間違いないので、楽しむためには制限を取っ払っていろいろな物事に手を出してみるのが吉だと思う。

2018-02-11T23:39:54+00:008月 22nd, 2017|哲学, 歴史, 雑感|