醸—環世界01 【SAKE RE100】
私たちは今、「何を飲むか」という選択が、「いかに生きるか」という存在論的な問いと直結する時代を生きている。
コンビニエンスストアの棚には、多様な茶、珈琲、エナジードリンク、酒が並び、品質や価格は千差万別である。
それらは地理的文脈、時間的契機、そして主体の嗜好によって選択され、その積み重ねが、やがてライフスタイルという社会的記号体系を形成する。
衣服や住居、所有物、消費行動の総体が「私」という一人称を外界に語り出す時代である。
この状況においてこそ、ドイツの生物学者・哲学者ユクスキュルが提唱した「環世界(Umwelt)」の思想は、鋭い輪郭をもって現れる。
環世界とは、単なる物理的環境の集合ではない。
それは各生物が知覚し、意味を付与し、行為を通して構築する、「その生き物固有の世界」である。
ここで「世界」とは、客観的外界ではなく、主体的経験の総体であり、存在が自己と他者との関係のうちで生成される場である。
一本の花を例に取る。
人間にとってそれは美的風景の断片であり、ミツバチにとっては蜜源、牛にとっては食糧である。
つまり、世界は唯一の実在として固定されているのではない。
意味付与と認識作用によって、多様な世界が同時並存している。
世界は「唯一」ではなく、常に「複数形」なのである。
この視座に立つと、SAKE RE100プロジェクトが孕む潜在力は、より明確になる。
当プロジェクトが志向するのは、単に「再生可能エネルギーで酒を造る」という技術的選択の提示ではない。
それは、“飲む”という日常的行為を通じて、主体の環世界を再構築し、ひいては他者との共在の世界そのものを変容させる試みである。
日本酒・SAKEには、様々な要素が詰まっている。
特に地酒は、固有の地域や文化、歴史、風土を背負う、後世に継ぐべき伝統産品・國酒である。
一側面(たとえば味)だけで終わるような、浅薄な工業製品では全くない。
当プロジェクトではSAKEのポテンシャルを引き出し、意味付与の契機を見出している。
「この酒を飲むことで、環境・地域社会・伝統技術の継承に参与する」という感覚は、消費を超えた倫理的行為となる。
「この一本に宿る物語や思想に触れることで、自らの選択が歴史と未来に接続される」という実感は、自己を新たに定位する行為である。
私たちが届けたいのは、この“意味の再編集”の契機である。
世界は、ただ静態的に存在しているのではない。
私たちの視線、感情、記憶、行為が交錯し、絶えず醸され、生成し続けている。
そして、行為は単なる反応ではなく、未来という未知の地平に対する創造的応答であり、その過程で私たちは自己を知り、環世界を更新する。
ゆえに、SAKEとは嗜好品以上の存在である。
それは、認識を攪拌し、世界像を再構成する思想のエージェントであり、媒介物である。
日々の「飲む」という何気ない行為のうちに、未来を方向づける知の萌芽が潜んでいる。
その入口として、SAKE RE100は存在する。