現代は、不確実性の時代である。

たとえば、書店に足を運べば「不確実性」や「非合理」の文字が躍り、想定可能で前途洋々なる未来図とは真逆の、閉塞感と将来不安の感情が漂う。
とりあえず、経済と切っても切れない現代社会に於いて、「不確実」といっておけばもっともらしい。

されど、すべての物事は結果論として合理化可能であり、「必然」化する。

複利計算に代表される、現実的物理界と数理界のギャップは、権益・手数料のパーセンテージビジネスに応用され、デリバティブ等の無限の概念創造活動と相俟ってR>Gに向かい金融経済・資産経済を膨張させてきた。
この構造化の原動力は、「自他共栄」の対極、すなわち一強、独占、支配、要するにコングロマリットである。
結局、P/L・B/Sの帳面競争を始めれば、原理上「世界帝国」に目標が収斂する。

バブル期に世界経済のトップ群に君臨した日本企業達は、今やGAFA云々に代替された。

技術発展と制度と帳簿の錬金術により加速化した欧米由来のイズムは、不耕貪食が恥であるというかつての日本国にも存在した感覚を鈍磨させてきた。
戦後経済の進歩主義の時代背景とともに、貨幣が貨幣を生むマルクスのいう「G-W-G’」錬金術を「経済的正義」として称揚した。

パナマ文書問題で晒された有名企業のリストが示すように、「狡猾なれど経済合理的」な倫理観が最早当たり前となり、およそ同時代を生きる70億人の同胞、地球共同体として共存する等の認識は著しく欠如している。

昨年の今頃は、仮想通貨ニュースで溢れた。
ここぞとばかりに、数多の商人が波乗りを行った。
同時に、実体経済との乖離と制度の歪みからくる不均衡を示した。

以上、結局は経済ゲーム空間である。
栄枯盛衰、山あり谷ありの、喜怒哀楽ゲームに過ぎない。

昨今、このゲームの構造的不均衡が暴露され、プレイヤーとして参加することに疑問を抱く人たちが増えている。
たとえば、異なるゲームルールとしてのニュー・エコノミー論や評価経済論がそれである。
現在の希望は、ゲーム・チェンジである。

頼れるもの、お手本となるロールモデルが無い。
構造的な敗北の決定と諦観。
解の不在。

メディアや教育を介した、価値観のテンプレ化に自覚したとき、エンタメに等しい椅子取りゲームに参加し精神を摩耗させる必要性に疑問を抱くようになる。

元来、生き方をとやかく言われる筋合いはないし、精神的安寧に帰着させることが全てである。
若年層を中心に、昨今新たな価値観が生まれてきたことは、確かである。

ちなみに、既存の価値観で育った世代への特効薬は、「ニヒリズム」。
ニヒリズムは、人間社会に通底する比較や優劣感情を問い、善悪を問い、差異そのものを肯定する。

知るべきは、やはりフリードリヒ・ニーチェであるし、義務教育で必修にすべきである。