最近サムさが増したと感じる言葉たち

//最近サムさが増したと感じる言葉たち

最近サムさが増したと感じる言葉たち

最近、ようやく寒くなってきて長袖も出してきた今日この頃。
言葉もサムいと感ずることが増えてきた。(笑)

たとえば、「マーケティング」という言葉。

この言葉に対して、ホットな印象を持つ人はどれだけいるのだろうか?
言葉それ自体が悪いわけではなく、外的要因の変化だろう。

最近、ふとそのように感ずることが多くある。

恐らく、「心理学」や「〜術」にも同様のことが言える。

これらは、「人間は、情念・行動ともにある程度は意図的に操作できる」という信念のもと、構築された概念である。
いかにも方便的な、欧米のビジネス系から生まれたこの言葉は、経営者やビジネスマンには受けの良い「ツール」だと思うし、歴史的に資本主義経済と不可分に結びついてこれらの研究は高度に発達してきた。
この管理者的発想、大衆が操作可能であり、いわば神のような超越的視点を誰しもが想起できるという優越感の如き快楽がそこにはある。

確かに、軍事作戦など、生死を分かつ次元に置いては、戦略-戦術云々の「方便」は非常に重要である。
ビジネスの失墜が高確率で生死にリンクする、有限責任の株式会社という定義とは異なる現代日本における無限責任の法人企業では、その意味で正しいし、すがりたい対象の一つである。

とはいえ、一旦ビジネスや経営といった次元から脱せば、人間そのものを見つめる閑却時間を一旦とれば、これらの言葉が非常にサムいものであると最近感じる。

「なぜ生きているのか?」「生きていて面白いか?」「幸福とは何か?」
そういった、経済人的観点からはナメた(!?、牧歌的な、しかし人類に普遍的で根源的な)感覚を抱いたときである。

そして、現代、既存の20世紀型・軍事参謀型ビジネス観点が見直され、人間の実存にシフトしている時代背景にある中で、こうした語にサムさが増してきたのではないかと思うこの頃である。
というどうでも良い話。

2018-12-03T14:15:36+00:0011月 2nd, 2018|ビジネス|